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じっちゃん

Author:じっちゃん
翻訳家。
もとコンピュータ技術者。二足の草鞋で翻訳を始め、定年後フリーランサーに。
【趣味】
①読書:ミステリを中心に時代・歴史小説、歴史や科学などのノンフィクション
②四国遍路(2015年11月結願)
③街道歩き(現在敢行中)
④SNS(ブログ、Facebook、Line)
⑤観劇
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行ってまいります

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(写真は近所の公園。記事の内容とは関係ありません)

 今日から四国遍路に出かける。

 春のお遍路は桜も楽しみのひとつなので、桜の開花が平年より早いのが若干誤算(もう満開通り過ぎてるもんなあ)。

 また天気予報がよくないのも気になる。尾道から今治までしまなみ海道を自転車で走る予定の4月3日だけでも天気がもってくれるといいのだが。ただ、大雨にはなりそうもないのが救いか。まあ、天気のことを気にしてもどうにもならない。すべて受け入れて楽しむしかない。

 遍路の「リアルタイム中継」はやっぱり断念することにした。前回の遍路でそのことについてお大師様の警告を受けた(と受け取った)ばかりなのに、すぐそれを反故にするのもいかがなものかと思うし、それにブログへのアップに気を取られているとお遍路そのものが楽しめなくなってしまうので。

 もっとも、「生」ではなく「録画」中継ってことはありうる。

 ともかくも行ってまいります。そうそう、東京に戻るのは4月9日の予定です。
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ありのままの姿見せるのよ~『ひとりぼっちを笑うな』



 テレビのバラエティーにもよく出ている漫画家の蛭子能収が書いた本。

 蛭子能収という人間の生き方を通して、内向的で、友だちもなく、いつもひとりぼっちでいるような人間を応援する本……この本をひと言で要約すればそうなるが、しかしそれだけではない。さらに読みこんでいくと、その根底には「ありのままの自分を認める」というポリシーが横たわっていることがわかる。

 孤独がいいとか、その逆に友だちがいなければダメとか、そういうのではなくて、どちらでもいい、自分の性に合っていればいい。「こうじゃなきゃだめ」と思いこんでそれに自分を無理やり合わせなくていい。自然体でいよう。……って、そういうことが書かれている。その意味で、蛭子さんは内向的だけれどポジティブな人だ。

「ありのままの自分を認める」ということは「ありのままの他人を認める」ことでもある。だから、自分とは価値観が異なる人がいても、けなしたり、非難したりしてはいけない(その意味でヘイトスピーチなど最低)と言う。首が痛くなるくらいうなずいてしまったが、いざ実践となると、できていない部分も多いので反省もさせられる。

 それにしてもぼくには蛭子さんとの共通点が多い。葬式にも結婚式にもできれば行きたくない、みなで集まって無駄話をするのは苦手だし飲み会も苦手、旅へ行くのはひとりがいい、外見を飾ることはしない、何かをするときは細かく予定を立てる……等々。ここらあたり、あまりに似ているので笑ってしまう。

 もちろん共感するところばかりではない。違和感を感じる部分もいくつかある。特に、「自由の国」アメリカを絶賛しているところや、ギャンブルを肯定するあまり(?)法律(解釈)にグレーゾーンを作るなと主張するところ。

 しかし「他人の価値観を否定してはいけない」ので、そういうのも含めて刺激的な本だった……と言っておこう(笑)。

 とにかくも、友だちと呼べるような友だちもおらず、友だちづき合いも苦手で、ひとりでいるのが好きなようなぼくには大いに勇気づけられる本だった。

 この本のおしまいの方で著者は、オーストラリアにひとりで行ったら無性に寂しく、日本人観光客にやたらと声をかけたという体験談を語った後、「僕は場合によっては誰かと話していたいタイプの人間かもしれない」と書き、「これまでさんざんひとりでいるのがいいと書き続けてきましたが…」と断ってから、「ときには矛盾したっていいんですよ」と結論づけているのにも大いに共感させられる。

 正直、これまで蛭子能収という人間をあまり好きではなかったのだが、この本を読んでちょっと(かなり?)好きになった。
 

ひっそりと再開

「舌の根も乾かぬうちに」という言葉がぴったりきますが、ブログを再開いたします。

 再開する事情をくどくどと書いてもしょうがないのですが、書きたいので(笑)書きます。しかしくどくはならないように。

・その1: 休止後再開を望む声が結構聞かれたこと。それも、普段コメントもくれず、ブログを見てくれていたことさえ知らなかった知人からそういう声があがったのは驚きでした。
・その2: 本を読んでいると、「この感動を誰かと分かち合いたい」という気持ちが湧いてくること。それを満たすための手段をブログ以外に思いつかなかったこと。
・その3: 間もなく遍路に出るのですが、一度失敗して懲りたはずの「リアルタイム中継」に再挑戦したいという思いが湧いてきたこと。

 以上。

 ブログ運営の方針変更についてもいろいろ考えていますが、それは省略。ただ、自分以外の個人情報(特に写真)を出すのは(少なくとも当面は)控えようと思っています。他の方のブログの記事にコメントすることも少なくなるでしょう。コメントへの返信もしないときがあるかもしれません。あしからずご了承ください。

 ではひっそりと再開いたしましょう。ただし、最初に書く記事をまだ決めていませんので、すぐには(あるいは永遠に?!)載らないかもしれません。

サラバ!

 思うところあってブログをやめます。やめるのはこれで3度目かな。ブログを続けるだけの根性と覚悟がないんですね。3度目の正直と言いますし、おそらくもう再開することはないでしょう。再開後短い間ですが、皆様にはお世話になりました。ありがとうございました。

仏教をお勉強する~『仏教 第2版』



 最近仏教に関心があって、勉強というほどではないが、いろいろと本を読みはじめている。四国遍路に関係の深い般若心経についてはそれなりに読んだので、いよいよ本丸を攻めることにした。

 その最初の教科書がこれ。仏教を学ぶときの基本書と言われている。

 まず著者による前書を読んで驚いた。

「仏教とは何かという問いに答えるのが本書の仕事である。(中略)本書を通読すれば仏教についてひととおり基本的な知識が得られるように工夫する。どうしても必要なテーマを落とさないように注意する。叙述をできるだけ平易にして、予備知識なしに読めるように気をつける。それと同時に、内容については専門学者の批判に耐え得る水準を保ち、学問的に責任の持てることのみしか書かない。仏教において人生の指針を求める人びとの手引ともなる。学生や研究者の参考書としても役に立つ」

 すごい意気込みであり、自信ではないか。これなら本当に仏教の基本を押さえられそうである。読む前から期待が盛り上がる。

 本書の内容は大まかに分けて、①現代における仏教の状況、②仏教研究の歴史、③仏陀誕生以前のインドの状況、④仏陀の生涯と仏教成立のプロセス、⑤仏教の教えである。

 これを見るかぎり必要十分な内容と言える。ただし、注意すべきは、本書が主として扱うのはインド仏教であり、中国や日本における仏教については軽く触れる程度にとどめると著者自身が宣言していることである。

 全体的な感想を言う前に、本書を読んでいて「おっ!」と思った新しい発見について書こう。

・仏陀=釈迦ではない。
 仏陀とは「悟って解脱を遂げた人」のことであり、固有名詞ではなく普通名詞である。釈迦は仏陀だが、仏陀は釈迦以外にも存在しうるし、実際釈迦以前に仏陀が存在したという記録もある。

・釈迦は菩薩だった。
 菩薩とは「仏陀となる資格を備えた者」であり、したがって仏陀になる前の釈迦は菩薩である。実際本書では解脱する前の釈迦を「ボサツ」と呼んでいる。

・釈迦は妻(お妃)も家庭も捨てて修行に入った(ここまでは知っていた)。さぞや妻は釈迦を恨んでいるだろうと思っていたら……
 ところがどっこい。釈迦が仏陀になった後、妻は彼に帰依して世界初の尼僧になっている。釈迦を恨まなかった妻も、そうさせた釈迦も相当な人物である。

・日本で言う「成仏」に相当する概念は(そもそもの)仏教にはない。
 仏教でいう「成仏」とは「悟って解脱し仏陀になる」ことを指し、日本のように死ねば「成仏」という考えはない。

・仏教で最も重要な徳目は「四摂事」「四無量」
 「四摂事」とは「布施」(他人に施す)、「愛語」(他人に優しい言葉をかける)、「利行」(他人の役に立つことをする)、「同事」(他人の身になって行動する)であり、「四無量」とは「慈」(他人の幸福を願う)、「悲」(他人を不幸から救い出す)、「喜」(他人の喜びを自分の喜びとする)、「捨」(これらの徳目にとらわれない)である。
 これらを総合してひと言で言い表せば、要するに「利他主義」であり、これはひとつ前の記事にも書いたように、幸福を説くどんな自己啓発書でも必ず説く教えである。最後の「捨」というのが逆説的でいかにも東洋的だ。
 
 このように興味深い内容に満ちた本書ではあるが、本書を読んで仏教の基本を押さえることができたかというと疑問が残る。

 仏教が成立した背景とか歴史についてはコンパクトにうまくまとめられているが、その思想についてはあまり突っ込んだことは書かれていない。また、前書きに断りがあるように、仏教が日本にどのように受け入れられ、変遷し、現代に受け継がれているかにはほとんど言及がない。

 その意味で前書きで豪語している「仏教とは何かという問いに答える」という目的には十分に応えられていないように思う。
【じっちゃんの誤読的評価:★★★】

前作の上を行く?~『ジェームズ・アレンの成功への道のり』

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アベノミクスは現《うつつ》か幻か?~『世界が日本経済をうらやむ日』



 アベノミクスの成否については賛否両論が飛び交っている(今は「賛」の方が強いか?)。ぼくもアベノミクスがうまくいくかどうかについては半信半疑、いや六信四疑くらいだった。それを確信に変えるにせよ、疑問を持つにせよ、アベノミクスの勉強が必要だと思っていた。

 そう思っている矢先にこの本が出た。著者は、いわゆるリフレ派(※)のひとりとしてアベノミクスを理論面から支える浜田宏一イェール大学名誉教授であり、日本人初のノーベル経済学賞受賞もうわさされる経済学者である。その浜田先生がアベノミクスに太鼓判を捺してくれれば、こちらも心強い。もう読むしかないと思った。

※ 緩やかなインフレへと誘導することによって経済を安定成長に導くことができるとする経済学の一派。緩やかなインフレへと誘導するための施策として(量的)金融緩和を重視する。

 ところでアベノミクスは、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民主投資を喚起する成長戦略」という3本の矢からなる。この本で論じられるのは、著者が著者だけに、主として第1の矢の金融緩和策である。

 アベノミクスの金融緩和策に対する批判として真っ先に言われるのは「金融緩和によって銀行に豊富な資金ができたのに、銀行の貸し出しは増えていないじゃないか」というものである。銀行貸出量の推移を見てみると確かに増えておらず、そのデータを背景に「そうでしょ?」と言われると、ぼくなどグゥの音も出ない。ところが浜田先生は言う。「景気回復には銀行貸し出しの増加は必須ではないのである」と。「えっ、ならば何のための金融緩和だったの?」と思うではないか。

 これに対して浜田先生は、これまでのデフレの中で企業は将来を心配して資金を溜めこんでいた(いわゆる「内部留保」である)。金融緩和策によるインフレ期待により、企業はその内部留保を取り崩して投資に回しはじめている。それにより景気が回復し企業が資金不足になるときが銀行預金の出番だと言う。「(まずは)世の中にインフレ期待を持たせることが重要であり、そのための金融緩和だった」。そう言われて周囲を見回してみると実際そうなっている。なるほど。

 加えて、大胆な金融緩和によって円安が誘導され、それによって企業(特に輸出製造業や、海外との競合産業=漁業、農業、観光業など)がうるおいはじめていると言う。

 アベノミクスに対する批判として次に言われる(というか最も言われる)のは「給料が増えてないじゃないか」というものである。それは確かにそうだと浜田先生は言う。しかし、それはすでに職を手にしていた人の給料についてである。ところがその一方で、アベノミクス発動後失業者が減少しており(つまり給料をもらえる人が増えており)、労働者がもらう報酬の総計は右肩上がりで増え続けていて、その結果弱者が救われているの。マスコミやアベノミクス反対論者が取り上げているのは前者であり、本来は後者を云々すべきだと言う。

 つまり現在企業は生産能力を増やしており(ないしは増やそうとしており)、その手段として新規採用を増やしているのである。生産量を増やそうとする場合、従業員の給料を上げるよりも新規採用を増やす方が投資効率がいいからだ。

 こう論じたうえで、失業率が低下して完全雇用に近くなったら(すなわち、新規採用を生産量増大の手段として使えなくなったら)、給料が増え始めると言う。過去のデータもそれを示しており、完全失業率3.8%がその分岐点となる。その3.8%を下回ったのが2013年12月。そこで給料増加に転じるはずだったのだが、消費税増税がそのチャンスを摘んでしまった(※)。2段目の消費税増税を見送り、完全失業率も3.6%まで低下した現在、本格的な給与の増加が期待できるそうだ(実際今度の春闘でそうなりそうだ)。

※ 私は経済ニュースに敏感なのでよく知っているが、浜田先生は2014年4月の消費税増税を安倍内閣が決める前から、一貫してそれに反対していた。そのとき多かった「予定どおり消費税を増税すべき」という議論に対する浜田先生の反論も非常に興味深いが、すでに文章の量がかなりのものになってしまったので、泣く泣く割愛する。

 著者はアベノミクスを支えるブレーンのひとりであり、多少話を割り引いて聞く必要はあるかもしれない。金融緩和は景気には効かないという論者もまだ多数いるし、ぼくにも「信じたい」というバイアスがかかっている可能性もある。それでも浜田先生の主張は説得力があり、アベノミクスに対するぼくの信頼は六信四疑から七信三疑くらいにはなった。

 なお、ぼくの誤解かもしれないが、金融緩和が効く理由は経済的な力学が働くというよりも、人びとの気持ちの問題(インフレ期待)であり、だとすると、反リフレ派が言うように金融緩和がいずれ経済政策として有効でなくなる日が来るかもしれない。
【じっちゃんの誤読的評価:★★★☆】

強い味方が現れた!~腕痛との戦い第3回戦況報告



 最近漢方のことがちょっと気になって、現在『丁先生、漢方って、おもしろいです。』(丁宗鐵、南伸坊)という本(写真)を読んでいる。これがすこぶる刺激的で面白い。まさに目から鱗のびっくり話が満載。

 だが、今日はその本の紹介をするのが目的ではない。本の中にわが腕痛と関係して「おっ!」と思わせる記述があったので、それを紹介しようというのである。

 その記述とは、鍼灸治療に関する記述である。鍼灸は痛みの改善に効果が高いと述べた後で次のような記述がある。なお、カッコ内はぼくの補足である。

「鍼灸は皮膚や関節の閾値《いきち》(=痛みを感ずるハードルの高さ)を上げますので、治療の後に同じ痛みがきても、それを痛みと感じにくくなるのです。痛みが取れると動けるようになってさらに循環がよくなり、結果として痛みの原因がさらに改善するのです」

 どうですか?……といきなり聞かれても、答えに窮するだろうから、ぼくがこの記述に「おっ!」と思った理由を書こう。

 ぼくはサーノ博士のTMS理論に基づいて腕痛を治そうとしている(TMS理論については過去記事のこちらを参照)。TMS理論では痛みの原因はストレスによる血行障害であり、それを治すには「痛みを怖がらずに痛む部位を動かせ」と説く。これって、鍼灸治療の原理(特に下線部)と似てるではあ~りませんか。

 ほっほー、なるほど。TMS理論による治療法は漢方の理論からも裏づけられるのだ。これは心強い。よし、痛いところを無理に痛めつけるという荒療治を今後も続けよう。

 ついでながら、腕痛の現在の状況だが、その後少しづつよくなっていて、普通に動かす分にはほとんど痛みはなくなった。ただ、手を上に上げてさらに伸ばそうとしたり、背後に振り上げる動作をするとまだ痛みが走る。それから、寝ている間に腕がこわばって起きてからしばらく疼痛がするという困った症状もある。でもまあよくなっているのは確かで、登山で言えば五合目を過ぎて六合目あたりだろうか。

 そのうち治ると信じ、頑張って荒療治を続けよう。

次はこれに挑戦しようかな

三陸遍路みち

四国遍路が終わったら、今度はこれに挑戦しようかな。
岩泉から南三陸へ復興祈る遍路みち

記念公園に梅を観に♪

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