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じっちゃん

Author:じっちゃん
翻訳家。
もとコンピュータ技術者。二足の草鞋で翻訳を始め、定年後フリーランサーに。
【趣味】
①読書:ミステリを中心に時代・歴史小説、歴史や科学などのノンフィクション
②四国遍路(2015年11月結願)
③街道歩き(現在敢行中)
④SNS(ブログ、Facebook、Line)
⑤観劇
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タイトルからは想像できない卓抜な対談集~『男気万字固め』



 タイトルと表紙だけを見たら、100人が100人、プロレス本だと思い、そしてその多くが本書を手に取ろうとしないだろう。プロレス嫌いのぼくも普通だったら永遠に手に取らなかったはずだ。ところが、ある本で激賞していたのを見て、読む気になったのである。そして読み終えた今、それは大正解だったと断言する。

 本書は対談集である。インタビュアーは著者の吉田豪。対談の相手は山城新伍、ガッツ石松、張本勲、さいとう・たかをなど7人。そこに共通するのはタイトルにあるとおり「男気」。顔ぶれをみてなるほどと思うが、読んでみてそれをさらに強く確認することになる。その意味で異色なのが最後に登場する乙武洋匡。「えっ、彼のどこが男気?」と思うが、読んでみるとそれがなかなかの「男気」ぶりなのである。

 この対談集の面白さは本音炸裂のトークにある。「えっ、ここまで言っちゃっていいの?」という話が頻出する。犯罪すれすれというか犯罪そのもののような話も出てくる。それらを「男気」のある人たちは隠そうともしない。この人たちはもう一般常識を突き抜けちゃってる感じ。対談後の原稿チェックでもほとんど手直しが入らなかったそうだ。

 だから、面白くないわけがない。これまで読んだ対談集の中でも飛び抜けて--いやいちばん面白かったと言ってしまおう。

 そこまで本音を話せるのは、当然のことながら対談相手のキャラが大きいが、それと同じくらい大きいのが、インタビュアーの吉田豪の手腕だろう。とにかく事前準備が徹底している。対談相手が書いた著書を初めとして、関連資料を過去に遡って徹底的に収集し、それをすべて読破する。中には対談相手が存在すら知らない(あるいは覚えていない)資料があったり、自分が書いたにもかかわらず所持しておらず「譲ってくれ」と頼むものもあったりする。

 吉田はその事前知識を縦横無尽に駆使して対談相手に水を向け、本音トークを引き出していく。対談相手が「そんなのなぜ知ってるの?!」と驚くこともしばしば。

 合いの手や、相手を持ち上げる技術も水際立っていて、読んでいて、対談相手が気持ちよく話しているのがよくわかる。これなら本音も出るわけである。本書を紹介していた本で著者を「対談の名人」と評していたが、うなずける話である。

 繰り返す。タイトルと表紙で引いてしまう人もいるかもしれないが、これは出色の超オモシロ対談集である。気楽に読めるし、ぜひ一読をお勧めする。

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日本がまだ若かった時代の壮大な物語~『日本文壇史』



 すいぶん前(今調べてみると2001年だ)に6巻の途中で中断していた伊藤整の『日本文壇史』を再び1巻から読みはじめた。

 明治から大正初期にかけての日本の文壇史を描く24巻の大著。作者伊藤整の死で18巻で途絶したのを、友人の瀬沼茂樹が引き継いで完成させた。

 本書の魅力は輻輳的だ。

 まず、明治維新という政治社会体制の大きな変革期にあって、日本文学界も読本・黄表紙・洒落本という古い形態から近代文学へと変貌を遂げる大変革期であったこと。だから物語がたくさんある(最も分かりやすい例が文語体から口語体への移行と言文一致体の登場)。それが面白い。

 第二に、日本文壇を舞台にした青春群像劇になっていること。逍遥も露伴も美妙も鴎外も子規も紅葉も、主要な登場人物が若い若い。10代の学生だったり、まだ何者でもなかったり、まだ生まれてもいなかったりする。それらの人物がそれぞれの志を抱え、それぞれがその志の実現のために苦闘し、成長し、そして何者にかになっていく。その過程が面白い。

 第三に、そうした登場人物が歴史の中で交錯する。意外な人物が意外な人物と意外な出会いをしたりする(あるいはすれ違ったりする)。それが面白い。登場するのは文学者たちだけではない。伊藤博文、大隈重信、田中正造といった政治家たち、岸田吟香、福地桜痴、黒岩涙香といった新聞人たち、内村鑑三、岡倉天心、中村正直といった文化人たち、福沢諭吉、新島襄、新渡戸稲造といった教育者たち--もう多士済々なんてもんじゃない。それらの人たちが人生航路の中で交錯するのだから、面白くないわけがない。

 第四に、文学界だけでなく、日本全体がまだ若い時代である。近代日本を作るための活動がさまざまな分野で行われている。政治社会体制はもちろん、日本が世界デビューを果たすのも、近代ジャーナリズムが成立するのも、大学が整備されていくのも、北海道が開拓されていくのもこの時代である。日本文壇の動向とともにそうした動きも並行して描かれる。それが面白い。

 それにしても、これだけの壮大な物語をまとめあげた伊藤整の苦労は並大抵ではなかったであろう。膨大な資料を前に格闘の毎日だったはずである。その努力と手腕には頭が下がる思いがする。

 ちなみに、本書における伊藤整の文体には大きな特徴がある。ごちゃごちゃいう前に実例を見てもらおう。

~~~引用開始~~~~
「東京日日新聞」で最も有力な記者は編輯長の岸田吟香であった。岸田は、本名を銀次と言い、この当時銀座の名物男と言われた著名な人物であった。彼は洋学者で新聞記者で薬屋の主人であった。彼は銀座二丁目の東側に住居があって、そこに目薬の店を営んでおり更に補養丸、鎮溜飲、穏通丸等を売った。岸田はこの頃三十七八歳であった。岸田の店のすぐ近くに「東京日日新聞社」即ち日報社があった。……
~~~引用終わり~~~

 こんな調子で、主観をできるだけ排し、客観的な事実だけを淡々と述べていく。「…た」「…た」「…た」と文末に「…た」が続くのも意に介していない。最初は違和感を覚えるが、慣れてくるとかえって心地よい。一見無味乾燥に思えるが、そうではない。意識的な物語化を避けていくなかで、それが総体としてきわめて生き生きとした物語になっていく。そこがとても面白い。

 まだ、1巻を読み終えただけである。まだ、伊藤が書いた分だけでも17巻、それ以外を合わせれば23巻も残っている。あせらず慌てずゆっくりと味わって行こうと思う。

認知症と向かい合うということ~『長いお別れ』



 定年退職後認知症となった夫(東昇平)を老々介護する妻と、その娘たちを描く連作短編集。

 私は家族の中に認知症の人を持っていないが、その立場からのみ言うと、認知症とその介護の実態がかなりの程度リアルに書かれているように思える。

 今言ったことやしたことを忘れる。現在の状況が把握できない。家族を家族と認識できなくなる。家族が本人のためにしようとしていることを頑強に拒む。徘徊する。そうした夫(父)に、困惑しながら対峙する妻(娘たち)。そうした光景が、ときには微笑ましく、ときには悲しく、ときには辛く、ときにはやりきれないエピソードとともに描かれる。

 そうした精神的な苦労だけでなく、肉体的・物理的な苦労も克明に、そして(おそらく)的確に描かれる。

 こうして書くと暗い話と思われるかもしれないが、意外にも物語の全体的なトーンは明るい。昇平の妻曜子や娘たちをはじめとして登場人物の昇平に対するまなざしがやさしく、それより何より作者のまなざしが温かいのだ。主要な登場人物に悪い人がいないのもよい。介護施設のスタッフも有能なのが頼もしい。

 認知症の人が身近にいる方の中には「こんなの現実的ではない」「オブラートに包んでいる」と感じる方もいるだろうし、ぼく自身も「現実はもっと厳しいんだろうなあ」とは思う。しかし、辛い話を辛く描くのでは伝わらないこともある。作者はそのあたりのバランスをうまく取っていると思う。

 いずれにせよ、本書を読んで、認知症とその介護が少しだけ身近になったことは確かだし、何より充実した読書体験を持つことができた。

【蛇足】
主人公(だよね?)の東昇平は何と静岡(県)出身で、しかもぼくの大学の先輩である。

何億もの魂を救った男~『デール・カーネギー(上)(下)』



 ぼくは自己啓発書の翻訳を多数手がけているが、その自己啓発書の分野で燦然と輝く星、それも北極星のようにひときわ明るい星が『人を動かす』『道は開ける』(拙訳『悩まずに進め』=オーディオブック)で知られるデール・カーネギーだ。

 代表作の『人を動かす』は人間関係を円滑に進める方法を指南する自己啓発書であり、1936年の発行以来世界で3000万部(300万部ではない!)を超えるベストセラーになっている(そうだ)。今でも自己啓発書のベストXXを選べば、間違いなく1,2位を争うことになる(最近出た『ビジネス書完全ガイド』でも、さらっと1位になっている)。リーダーたらんとする人は必読の名著である。来年春にはぼくが翻訳したもの(ただいま、鋭意翻訳中!)が出るはずなので、それを待って(*^^)vぜひ読んでほしい。

 もうひとつの『道は開ける』は悩み克服の指南書。これまで同種の書籍をたくさん読んできたが、悩みを克服する方法論で本書を上回るものには出会ったことがない。こちらもまぎれもない名著である。悩み多き方は読まれんことを。救われること間違いなし!

 書籍の紹介から入ったが、デール・カーネギーはデール・カーネギー・コースという研修コース(対人関係、スピーチ、悩み克服など)の主宰者でもある。というか、そちらの方が本業である。著者自身は故人だが、後継者が今でも運営していて、本国米国のみならず、全世界でコースが開かれている。もちろん、日本にもある。

 書籍だけで3000万部、コースの受講者はその数倍いるだろうから、少なく見ても1億人はカーネギーのお世話になっているはずだ。これほどの魂を救った人は、宗教関係以外ではカーネギーをおいてないだろう。

 さて、本書『デール・カーネギー(上)(下)』である。タイトルから想像がつくように、デール・カーネギーの誕生から死までをほぼ時系列で追った評伝である。

 率直に言って、『人を動かす』の大ヒットで一躍時の人となるまでの前半は面白くない。ここのところは、デール・カーネギーはなぜデール・カーネギーとなったかが読ませどころのはずだが、そこのところがどうもよくわからない。少年時代はきわだった才能を見せず、成人してからも、夢を追うばかりで、何をやってもうまく行かず転々と仕事を変えていた、いわば人生の落伍者が、突然「話し方」教室の講師として花開く。そこまでの経緯--どうして「話し方」のプロになるほどの卓越したコミュニケーション能力を身につけたかがよくわからないのだ。

 それが一転、『人を動かす』で大成功してからは、がぜん面白くなる。期せずして人気者になったカーネギーの戸惑い、世間からの絶賛と誹謗中傷、二度の結婚、夫婦愛、友情と裏切り、思いがけない事業の失敗と再建、次第にカリスマ性を帯びていくカーネギーとその秘密、突然の病--と読みどころ満載で息もつかせず読ませる。

 カーネギーが晩年あの病で倒れた(「倒れた」と言っていいかどうか)のは初めて知った。そこからの話も痛々しくも感動的である。さらには、人格者だと思っていたカーネギーが死ぬまで妻(二番目の妻)以外の女性と不自然な関係を続けていたというのも驚きだった。

 このように前半よりがぜん面白くなる後半だが、欠点もある。カーネギーの著書の内容の紹介が必要以上に詳しくて長く、(少なくともそれを読んだことのある者にとっては)退屈で苦痛以外の何ものでもない。さらに言えば、詳しすぎて逆に、どこがいいのか、何が面白いのかがわかりにくくなっているような気もする。

 また、カーネギーの思想のバックボーンとなっているニューソートや心理学についての記述もくどすぎる。必要性はわかるが、思い切ってもう少し刈り込むべきだったのではなかろうか。

コミュ障の人集まれ!~『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』



 昨年大いに話題になり、大いに売れた、コミュ障(※)克服のための指南書。著者はニッポン放送のアナウンサー。

※ 「コミュニケーション障害の略である。日本の国民病の1つであり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のこと」(ニコニコ大百科より)。

 著者自身コミュ障であったと言う。「えっ」と思う。ならば、最もコミュニケーション能力が必要なアナウンサーとして成功しているのはなぜなのか?

 その答えは「コミュ障を克服すべく努力したから」。水泳や料理と同じように、コミュニケーションも練習しなければうまくならない。その大前提を「コミュ障」というレッテルを貼ることで覆い隠してしまっている(※)と著者は批判する。なるほど。出発点からして素晴らしい。

 著者はコミュニケーションを「ゲーム」ととらえる。しかも、参加者全員が味方のゲーム。ゲームの目的はコミュニケーションを円滑に進め、終わった後に参加者全員がいい気持になれること。自分の思いや情報を伝えることは二の次だ--そう言って、そもそもの「コミュニケーション」の定義(※)を否定してしまう。

※ 広辞苑によれば「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達」

 全員味方なのだから、相手を説得しようとしたり、ましてや言い負かそうとしてはいけない。「言い負かされたら、その人はいい気持で会話を追われないし、いいことは何もない」と言い切る。この割り切りかたがすごい。

 以上が本書の最大の肝。ここさえ(きちんと)理解できれば、後は枝葉末節だと言っても言い過ぎではない(言い過ぎか)。

 そのうえで、コミュニケーションをいい気持で終えられるコツを教えてくれる。

 まず自分を捨てること。自分に興味のある人なんていないんだってことを自覚すること。コミュニケーションで自己顕示欲を満足させることなどできない。だから、コミュニケーションをうまく進める基本はたったひとつ。徹頭徹尾「相手にしゃべらせる」こと、それだけだと。

 そしてもうひとつ。自尊心のレベルを下げろということも言っている。バカにされても怒るな、いじられたらラッキーだと思えと。いやあ、これなど、ちょっとしたことでもカッとしてしまうぼくは、真っ先に心せねばならない。

 こうした考えの背景には「相手の思いはコントロールできない。コントロールできるのは自分の思いだけだ」という考えがある。これなど、デール・カーネギーの名著『道は開ける』など、悩み克服指南書が必ず説く最重要事項である。「相手を変えることはできない。自分を変えよ」と。

 本書にはこうした「心構え」の話だけでなく、具体的なテクニックの話もある。

 その中で最も重要なのは「質問せよ」。相手に(嘘でもいいから)興味を持って質問する。それが大事だと。そして「他愛のないことを聞け」「いちばん大切なのは『答えやすさ』」「相手についての知識の空白を埋める質問をせよ」などと、質問のコツを次々と教えてくれる。驚くのは、よく会話のコツと言われる相づち(「へえ」「なるほど」「ふ~ん」)を否定していること。理由を聞けば納得できる。

 こうしたテクニックを、サッカーの「トラップ、パス、ドリブル」にたとえるのもうまい。わかりやすいし、後々まで頭に残る。

 それ以外にも会話のコツが満載なうえに、「親も兄弟も最初は他人」「正常は異常の一形態」「誤解するのが当たり前」「人間の会話は、サルの毛繕い」といった名言も目白押し。

 こう言っちゃなんだが、予想外の好著だった。コミュニケーションの指南書としてだけでなく、もっと広く、人づきあいの指南書としても読める。その意味で「コミュ障」以外の人にもお勧めしたい。

「論理」と「倫理」~『小倉昌男 経営学』



 著者は、宅配便の生みの親、ヤマト運輸の2代目社長である。

 宅配便というまったく新しい業態に着目し、それを一大事業にまで育て上げていく姿が、独自の経営哲学とともに語られる。身内のほとんど全員が反対するなか新しい事業を起こし、軌道に乗りかけたと思うと、既得権益を守ろうとする官僚や同業者の横槍が入る。それらと戦う著者の姿は感動的であるとともに、下手な小説よりはるかに面白い。

 読んでいて、大きなことをやり遂げる鍵は、①揺るぎない信念、②コストよりそれをやるべきかどうかを優先、③顧客の立場に立った考え方、④常識を疑う逆転の発想、⑤データに基づいた分析と実行だと愚考した。

 著者は最後を「経営リーダー10の条件」で締めくくる。その10の条件の中でも特に重要なのは「論理的思考」と「高い倫理感」だと言う。後者についてはこう語る。

 企業の目的は利益ではなく、永続することである。利益はそのための手段であって目的ではない。企業を永続することによって、質の高い製品やサービスを社会に提供し、雇用機会を創出することが企業の存在意義だ。

 ぼくが人生の半分以上をお世話になった会社が今揺れている。世間様が言うほど「悪」だとは思わない(思いたくない)が、ただ、利益を重視するあまり、本来の目的である「よい製品を社会に提供する」ことがおろそかになっていたのではないかという思いはある。このピンチをチャンスととらえ、原点に返って「高い倫理観」を旗印にして立ち直ることを切に願う。
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