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じっちゃん

Author:じっちゃん
翻訳家。
もとコンピュータ技術者。二足の草鞋で翻訳を始め、定年後フリーランサーに。
【趣味】
①読書:ミステリを中心に時代・歴史小説、歴史や科学などのノンフィクション
②四国遍路(2015年11月結願)
③街道歩き(現在敢行中)
④SNS(ブログ、Facebook、Line)
⑤観劇
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さんざんな誕生日


今日はわが家のわんこ・クロ丸の8歳の誕生日。誕生日だというのに、昨夕の散歩中ちょっとしたことから右後ろ脚を痛め、びっこを引くようになってしまったので、今日は朝から病院。

レントゲン写真を撮るなどして診てもらった結果、膝蓋骨内方脱臼との診断。何でも、起きて立ち上がろうとした瞬間に発生することもあるくらいで、ちょっとしたことがきっかけで起きることもあるとのこと。昨夕も脱臼するような激しい事故は起こしていないのでナルホドと思う。

とりあえず痛み止めの注射をしてもらい、一週間ほど薬を飲ませて様子をみることになった。その間お散歩もお休み。

太り過ぎなのも原因のひとつだそうで(見た目は痩せているが、体重は理想より数百グラムオーバーとのこと)、並行してダイエットも行うことなった。

散歩の時間になると、本人は右脚をケンケンしながらやって来て、いつものように散歩を催促する(写真)。とても不憫で切なくなるが、心を鬼にして「今日は行けないの」と告げる。

大好きな散歩もできないうえに、この後の食事も減らされることになる。クロ丸にとっては散々な誕生日となってしまった(^▽^;)

ともかくも次の診察までにはよくなっていることを祈るのみ。

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般若心経がなんと絵本に!~『般若心経絵本』



 昨年めでたく結願した四国遍路では各札所で般若心経を2回ずつ詠む。必然的に般若心経に関心を持つようになった。

 キリスト教やイスラム教の信者でもなく、ただそれらの解説本を読んだだけのぼくがこう言うのもなんだが、三大宗教のなかで仏教がいちばん奥深いように思う。少なくとも、教えを最も徹底して深いところまで掘り下げているのが仏教だと思う。

 その奥深い仏教の教えの神髄を262文字に凝縮したのが般若心経だと言われるだけあって、ごく短い経文なのにとても深遠で(と僕は感じる)、とても難しい。何度詠んでもわかったようなわからないような気になる。

 だから自然の流れとして解説本をひもとくことになる。これまでにいろいろな著者の解説本を読んだ。松原泰道・哲明親子のもの、仏教僧にして芥川賞作家の玄侑宗久のもの、瀬戸内寂聴のもの、学研のBooks Esotericaシリーズの一書など。

  しかし、どれを読んでも、どうもしっくりこないし、「ああそうなのか」と膝を打つ瞬間がこない。解説本何冊か読んでいるうちにその理由がわかった。どの本も「勝手な」ことを言っているからだ。

 つまり、般若心経の「わかったようなわからないような」教えを、それぞれの著者が自分に引き寄せて「自分はこう解釈する」と説明しているだけであり、解釈のしかたもまちまちで、そもそもお釈迦さまの教えや般若心経を書いた人の考えとそれが合致しているのかどうかも怪しい。

 要するに百人いれば百通りの般若心経の解釈があるのだろうという結論になり、「少しだけ」腑に落ちた。もちろん般若心経の核となる教えは不動のはずで、それをどう現実社会にマッピングするかが、解釈する人によって違うということである。

 では般若心経の核となる教えとは何か? 僕もそれをおぼろげながらつかんでいると思ってはいるのだが、ここで言葉に表して説明するのは手に余る。でも、悔しいからちょっとだけ言っておくと、要するに般若心経の冒頭にあるこのふたつの文句だ(こんなこと誰にでも言えると思うけど)。

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」(観音菩薩さまが奥深い般若波羅蜜多を行われたとき、世の中のすべてのもの、物質的・精神的現象のすべてが実体のないものであると見抜き、一切の苦悩から解放された)

「色不異空 空不異色」(世の中にあるものはすべて実体などなく、母なる無の空間と一体になって存在している)

 これ以上はぼろが出るのでやめておこう。ま、要するにそういうことである(←どういうことだ!?)。そうそう、般若心経の最後に出てくる「ぎゃーてぇぎゃーてぇはーらーぎゃーてぇ・・・」という呪文(マントラ)が何よりも重要らしいということもわかってきた。

 さて、『般若心経絵本』である。作者は『モチモチの木』『えにかいたねこ』などで有名な絵本作家にして真言宗の僧侶、諸橋精光さん。何はともあれ、このわけのわからん世界を絵で表してしまおうという心意気に脱帽。なにしろ、絵に描いてしまうということは、般若心経の世界をイメージとして固定してしまうということなのだから、大胆不敵な話である。

 ここで結論を言ってしまえば、この本も結局般若心経に対する百人百色の解釈に、作者諸橋精光個人の解釈を加えたにすぎない。だから、当方としてはやっぱりしっくりこないが、菩薩さまやシャーリープトラ(舎利子)が無(ハンニャハラミツ)の大海に身を任せて陶然となっている姿など、般若心経の世界をやわらかく穏やかな絵で表されてみると、心へ沁みこむ力が他の本より強いようで、やっぱり絵の力はすごいなと思ったりもする。何よりも他書にくらべて押しつけがましくなく、「こういう考えかたもあるんだよ」と言っているようなところが好感が持てる。

 というわけで般若心経の解説本としてはイチオシとしておく。そうそう、ほんわかとして物足りないところもあるので、もう少し掘り下げた解釈を知りたいという方には、学研のBooks Esotericaシリーズの『般若心経の本』が他書よりも比較的客観的なので、お勧めしておく。

孫を預かる

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熱い男たちの物語~『東天の獅子 天の巻・嘉納流柔術』



 明治期を舞台に嘉納治五郎とその弟子たちを主人公に据えた痛快面白小説。姿三四郎のモデルになった西郷四郎ほか四天王も出てくる。

 柔術が柔道となっていくサクセスストーリーとしても読めるし、熱血格闘技小説としても読めるし、治五郎を中心とした青春群像小説としても読める。出てくる柔術家たちがみな男気にあふれる熱いやつらばかりで、読んでいるこちらも熱くなってくる。

 もちろん格闘シーンもふんだんだ。マンネリで退屈になりがちな格闘シーンをあれだけビビッドに描ける作者の技量にはうならされる。そして何よりも4巻というそれなりの分量を飽きさせずに読ませる力には感服。

 私がひいきにしている勝海舟が重要な役どころで出てくるのもポイントが高い。おススメ。

人生の知恵が詰まっている・・・かな?~『ラ・ロシュフコー箴言集』



 名著中の名著である。岩波文庫版の表紙にも「フランス・モラリスト文学の最高峰」という最大の賛辞が書かれている。

 人生の指針のようなものが得られるのではないか、あるいは何かの折に「ロシュフコーはこう言っている・・・・・・」など言って箴言のなかから気の利いた言葉を引用したらカッコイイのではないか、そんな思惑で読みはじめた。

 確かに、気の利いた言葉もある。たとえば……

「われわれは希望に従って約束し、怖気に従って約束を果たす」
「人間は何かに動かされているときでも自分で動いていると思うことが多い」
「人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない」
「ほんとうの恋は幽霊と同じで、誰もがその話をするが見た人はほとんどいない」
「誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない」

「なるほど」と思う(特に最後のやつはいい)。しかし、それ以上でも以下でもない。感心するというほどでもなければ、心に沁みてくるわけでもない。しかも、この「なるほど」というレベルでも10にひとつくらいの確率である。

 その逆に出来の悪いものならたくさんある。そんなの言われなくてもわかってるよとか、だから何?とか、意味わかんないというレベルのものが。例をあげよう。

「どうやらわれわれの行為には吉、凶の星がついていて、人がわれわれの行為に寄せる称賛や非難の大部分は、その星のおかげであるらしい」
「女を愛せば愛すほど憎むのと紙一重になる」
「誉める非難があり、くさす賛辞がある」
「偉大な素質を持つだけでは充分でない。それを活かす術が必要である」
「人が恋について話すのを聞かなかったら、決して恋などしなかっただろうと思われる連中がいる」
「われわれの改悛は、犯した罪に対する悔であるよりも、むしろその悪の報いとして身に及ぶかもしれない悪に対する恐れである」
「大部分の人は羽振りや地位によってしか人間を判断しない」

 これくらいでいいだろう。読むほうの理解力、洞察力が不足しているのかもしれないが、こういうのがずらっと続くと、読み続けるのがつらくなってしまう。というわけで、500余ある(本編のみ)箴言のうち230ほど読んだところで読むのをやめてしまった。

 これが「フランス・モラリスト文学の最高峰」というのなら、フランスも大したことない。わが国の「徒然草」あたりのほうがはるかに上だ……と憎まれ口をきいておく。

風太郎節を満喫~『白波五人帖』



 天下の大盗賊日本左衛門(歌舞伎では日本駄右衛門)ほか白波五人男それぞれが主役を演ずる5つの短編からなる連作短編集。久々の山田風太郎だが、風太郎節を大いに満喫できた。

 お話しは日本左衛門が京都町奉行所に自首してくるところから始まる。お上が手を焼いていた日本左衛門がなぜ自から自首してきたのか・・・物語はその謎を中心に展開する。その謎に宝暦治水事件(※)が絡んで、物語は驚天動地の展開を見せる。

※ 江戸時代中期に起きた事件。幕命によって施工された木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)の過程で、工事中に薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に薩摩藩総指揮の家老平田靱負も自害した。(Wikipediaより)

 日本左衛門が京都町奉行所に自首したのは史実だが、それに宝暦治水事件が絡むというのはまったくの虚構。日本左衛門は延享4年(1747年)に死んでいるが、宝暦治水事件が起きたのは宝暦4年(1754年)だからだ。このように、山田風太郎は史実と虚構を織り合わせ、想像の翼を思い切り広げて、超オモシロ物語に仕上げている。それは他の4作も同様だ。それにしても、よくもまあこんなことを考えつくものだ。作者の想像力には、毎度のことながら、感嘆を通り越して呆れてしまう。

 エログロが特徴でもある風太郎作品だが、エロの部分は抑え気味なものの、グロなシーンはそれなりにあるので、そういうのが嫌いな向きは要注意。そんななかで、男女の純愛あり、夫婦愛あり、兄弟愛あり、友情あり、忠義ありで、ほろりとさせるシーンもあって、読ませる読ませる。ああ、やっぱり、風太郎は天才だ。
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