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じっちゃん

Author:じっちゃん
翻訳家。
もとコンピュータ技術者。二足の草鞋で翻訳を始め、定年後フリーランサーに。
【趣味】
①読書:ミステリを中心に時代・歴史小説、歴史や科学などのノンフィクション
②四国遍路(2015年11月結願)
③街道歩き(現在敢行中)
④SNS(ブログ、Facebook、Line)
⑤観劇
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資本主義経済の将来について考えさせられた~『入門経済思想史 世俗の思想家たち』



 以前から経済学には関心があってけっこういろいろ読んでいる。しかし、経済学の発展の歴史についてまとまったものを読んだのは今回が初めてである。

 本書はアダム・スミス、リカード、マルクス、ヴェブレン、ケインズ、シュンペンタ―といった偉大な経済学者の小伝とその理論、その背景にある時代の状況をコンパクトにまとめたものである。コンパクトと言っても文庫本で500ページ以上あるが、著者の語り口が巧みなせいで、最初から最後まで(一応)飽きることなく読み通すことができた。

 今一応と書いたのにはわけがあって、アダム・スミスからマルクスまでは話もよくわかり面白く(いささか興奮状態で)読めたのだがが、それ以降ケインズ、シュンペンタ―のあたりは少しだけしんどくなってしまったのだ。理論が難しくなったこともあるが、それに加えて、作者が面白く読ませようとするあまり、レトリックやストーリーの組み立てを工夫しすぎて、ストレートに話せばわかりやすいものをかえってややこしくしてしまっている嫌いもある。

 この本を読むと経済学の歴史は、資本主義経済(=市場経済)の出現とともに始まり、発展したことがよくわかる。

 その資本主義経済の破たんと共産主義経済の出現を予言したのはマルクスだが、今のところ彼の予言は外れた形になっているが、完全に無効になったわけではない。

 近代経済学は景気循環が起こるメカニズムを解明しようと躍起になってきたが、いまだに好不況の波が激しいことを見ると、まだ答えを見つけ出せないでいることは明白である。全員が全員好況を望んでいると言っていい状況でなぜ不況が発生してしまうのか? それすらわかっていないのだ。それに、そもそも資本主義経済には安定均衡というものがなく、際限なく成長し続けなければならない(その理由について本書に一応の答えが用意されている)。今は技術革新があるからいいが、それがいつまで続くかもわからない。

 景気循環のメカニズムを解明できないうちに、その波が悪いほうに大きく振れて資本主義経済が破たんするということだってないともかぎらないのだ。

・・・とまあ、最後はそんなこと考えてしまった。

 なお、本書はケインズ以降はシュンペンタ―を取りあげているだけで、ケインズ以降の現代経済学については多く触れられていない。そこに若干の物足りなさを感じた。
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英米文学翻訳者必須の知識に挑む~『はじめて読む聖書』



 英米文学には聖書の引用や、聖書の話を下敷きにしたエピソードが頻出する。英米文学を読んでいて、聖書の話が一度も出てこなかったら、かえって珍しいくらいである。となると、英米文学を翻訳するものにとって聖書の知識は必須と言ってよい。

 私も英米文学(※)の翻訳者の端くれとして、聖書の勉強はそれなりにしている。しかし、まだまだ知識不足だと感じているし、それよりも何よりも、最近聖書という稀有な書物に対する知的好奇心が抑えきれないくらい高まってきていて、聖書関連の本をかなり読みはじめている。

※ と言っても、自己啓発書を中心とするノンフィクションだが。

 その一環として手に取ったのがこの本。

 タイトルからして聖書の入門書的なものを期待していたのだが、読んでみてちょっと肩透かしをくらった。冒頭の「聖書ってどんな本?」と最後の「聖書を読むための本」こそ入門書っぽいものの、その間に来る7編は入門書を意図した記述と言うより、聖書をテーマにしたエッセー集(プラス対談)の感。

 冒頭の「聖書ってどんな本?」も、聖書を紹介するには15ページと短すぎるし、そのうちの訳半分を聖書和訳の歴史に当てているのもバランスが悪い。最後の「聖書を読むための本」で紹介される参考文献も聖書入門者には高級すぎてついていけない。

 かくして聖書入門書としては期待はずれだが、エッセー集としては、池澤夏樹や橋下治、吉本隆明など豪華執筆陣がそれぞれの聖書観を語ってくれて、面白く読める。

 何と言っても白眉は、新約聖書学者としてつとに有名な田川健三氏の対談。約70ページと本書のほぼ3分の1を占めることからも、これが本書の中心であることがわかる。

 田川氏はれっきとしたクリスチャンだが「神は存在しない」と言い切ってしまう人で(この対談のなかでもそう言っている)、日本のキリスト教界では異端の存在。だから、日本の神学会では身の置きどころがなく、ドイツのゲッティンゲン大学、アフリカのザイール国立大学、フランスのストラスブール大学などで教鞭を取ったという経歴の持ち主(※)。


※ 一時期国際基督教大学で教鞭を取っていたが、その思想がわざわいして追放されてしまう。その経緯もここに書かれている。


 しかし、田川氏が「神はいない」と主張する論拠は(キリスト教徒でない者には)しごく真っ当に思える。田川氏の主張は「神はいない」というよりも、「(聖書が描くような)人間が作りあげた神はいない」というものである。人間がイメージできるくらいならそれは神ではないと言っているのである。では「神」はいるのか、いないのか? 田川氏は「それはわからない」と言う。いるかもしれないし、いないかもしれない。だから、田川氏は無神論者と言うよりも不可知論者と言ったほうがよい(ご本人もそうおっしゃっている)。

 これを含め、この対談は括目すべき内容に満ちていてスリリングである。たとえば。

 田川氏がザイール国立大学で教鞭を取っていたとき、授業であのシュヴァイツァーに言及したとたん、学生たちから「帝国主義者!」という声(ブーイング)があがったという。シュヴァイツァーはアフリカに病院を作って多くのアフリカ人を救ったということでノーベル平和賞をもらっているが、実は非常に人種差別主義者であり、アフリカの人を見下した言動が多かったという。そればかりでなく、患者を使った人体実験まがいの手術も数多く行った。それを現地の人は今でも恨みに思っていて、反発するのである。

 田川氏の宗教と向かいあう姿勢はきわめて真摯である。建前を捨てて本音でキリスト教にぶつかるからこそ、信仰ありきで聖書を研究する旧来の学者から見れば煙たい存在なのだろう。

 田川氏には前から注目していたが、この対談を読んでますます興味を持った。氏には、信者とそうでない者を問わず、新約聖書に関心ある者を対象とした解説書『書物としての新約聖書』、真のキリスト像を描いたとして(いろいろな意味で)話題になった『イエスという男』という著書がある。いずれも大部なのでいっぺんには読めないが、手に入れて読んでみようと思う。
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