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じっちゃん

Author:じっちゃん
翻訳家。
もとコンピュータ技術者。二足の草鞋で翻訳を始め、定年後フリーランサーに。
【趣味】
①読書:ミステリを中心に時代・歴史小説、歴史や科学などのノンフィクション
②四国遍路(2015年11月結願)
③街道歩き(現在敢行中)
④SNS(ブログ、Facebook、Line)
⑤観劇
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タイトルからは想像できない卓抜な対談集~『男気万字固め』



 タイトルと表紙だけを見たら、100人が100人、プロレス本だと思い、そしてその多くが本書を手に取ろうとしないだろう。プロレス嫌いのぼくも普通だったら永遠に手に取らなかったはずだ。ところが、ある本で激賞していたのを見て、読む気になったのである。そして読み終えた今、それは大正解だったと断言する。

 本書は対談集である。インタビュアーは著者の吉田豪。対談の相手は山城新伍、ガッツ石松、張本勲、さいとう・たかをなど7人。そこに共通するのはタイトルにあるとおり「男気」。顔ぶれをみてなるほどと思うが、読んでみてそれをさらに強く確認することになる。その意味で異色なのが最後に登場する乙武洋匡。「えっ、彼のどこが男気?」と思うが、読んでみるとそれがなかなかの「男気」ぶりなのである。

 この対談集の面白さは本音炸裂のトークにある。「えっ、ここまで言っちゃっていいの?」という話が頻出する。犯罪すれすれというか犯罪そのもののような話も出てくる。それらを「男気」のある人たちは隠そうともしない。この人たちはもう一般常識を突き抜けちゃってる感じ。対談後の原稿チェックでもほとんど手直しが入らなかったそうだ。

 だから、面白くないわけがない。これまで読んだ対談集の中でも飛び抜けて--いやいちばん面白かったと言ってしまおう。

 そこまで本音を話せるのは、当然のことながら対談相手のキャラが大きいが、それと同じくらい大きいのが、インタビュアーの吉田豪の手腕だろう。とにかく事前準備が徹底している。対談相手が書いた著書を初めとして、関連資料を過去に遡って徹底的に収集し、それをすべて読破する。中には対談相手が存在すら知らない(あるいは覚えていない)資料があったり、自分が書いたにもかかわらず所持しておらず「譲ってくれ」と頼むものもあったりする。

 吉田はその事前知識を縦横無尽に駆使して対談相手に水を向け、本音トークを引き出していく。対談相手が「そんなのなぜ知ってるの?!」と驚くこともしばしば。

 合いの手や、相手を持ち上げる技術も水際立っていて、読んでいて、対談相手が気持ちよく話しているのがよくわかる。これなら本音も出るわけである。本書を紹介していた本で著者を「対談の名人」と評していたが、うなずける話である。

 繰り返す。タイトルと表紙で引いてしまう人もいるかもしれないが、これは出色の超オモシロ対談集である。気楽に読めるし、ぜひ一読をお勧めする。

日本がまだ若かった時代の壮大な物語~『日本文壇史』



 すいぶん前(今調べてみると2001年だ)に6巻の途中で中断していた伊藤整の『日本文壇史』を再び1巻から読みはじめた。

 明治から大正初期にかけての日本の文壇史を描く24巻の大著。作者伊藤整の死で18巻で途絶したのを、友人の瀬沼茂樹が引き継いで完成させた。

 本書の魅力は輻輳的だ。

 まず、明治維新という政治社会体制の大きな変革期にあって、日本文学界も読本・黄表紙・洒落本という古い形態から近代文学へと変貌を遂げる大変革期であったこと。だから物語がたくさんある(最も分かりやすい例が文語体から口語体への移行と言文一致体の登場)。それが面白い。

 第二に、日本文壇を舞台にした青春群像劇になっていること。逍遥も露伴も美妙も鴎外も子規も紅葉も、主要な登場人物が若い若い。10代の学生だったり、まだ何者でもなかったり、まだ生まれてもいなかったりする。それらの人物がそれぞれの志を抱え、それぞれがその志の実現のために苦闘し、成長し、そして何者にかになっていく。その過程が面白い。

 第三に、そうした登場人物が歴史の中で交錯する。意外な人物が意外な人物と意外な出会いをしたりする(あるいはすれ違ったりする)。それが面白い。登場するのは文学者たちだけではない。伊藤博文、大隈重信、田中正造といった政治家たち、岸田吟香、福地桜痴、黒岩涙香といった新聞人たち、内村鑑三、岡倉天心、中村正直といった文化人たち、福沢諭吉、新島襄、新渡戸稲造といった教育者たち--もう多士済々なんてもんじゃない。それらの人たちが人生航路の中で交錯するのだから、面白くないわけがない。

 第四に、文学界だけでなく、日本全体がまだ若い時代である。近代日本を作るための活動がさまざまな分野で行われている。政治社会体制はもちろん、日本が世界デビューを果たすのも、近代ジャーナリズムが成立するのも、大学が整備されていくのも、北海道が開拓されていくのもこの時代である。日本文壇の動向とともにそうした動きも並行して描かれる。それが面白い。

 それにしても、これだけの壮大な物語をまとめあげた伊藤整の苦労は並大抵ではなかったであろう。膨大な資料を前に格闘の毎日だったはずである。その努力と手腕には頭が下がる思いがする。

 ちなみに、本書における伊藤整の文体には大きな特徴がある。ごちゃごちゃいう前に実例を見てもらおう。

~~~引用開始~~~~
「東京日日新聞」で最も有力な記者は編輯長の岸田吟香であった。岸田は、本名を銀次と言い、この当時銀座の名物男と言われた著名な人物であった。彼は洋学者で新聞記者で薬屋の主人であった。彼は銀座二丁目の東側に住居があって、そこに目薬の店を営んでおり更に補養丸、鎮溜飲、穏通丸等を売った。岸田はこの頃三十七八歳であった。岸田の店のすぐ近くに「東京日日新聞社」即ち日報社があった。……
~~~引用終わり~~~

 こんな調子で、主観をできるだけ排し、客観的な事実だけを淡々と述べていく。「…た」「…た」「…た」と文末に「…た」が続くのも意に介していない。最初は違和感を覚えるが、慣れてくるとかえって心地よい。一見無味乾燥に思えるが、そうではない。意識的な物語化を避けていくなかで、それが総体としてきわめて生き生きとした物語になっていく。そこがとても面白い。

 まだ、1巻を読み終えただけである。まだ、伊藤が書いた分だけでも17巻、それ以外を合わせれば23巻も残っている。あせらず慌てずゆっくりと味わって行こうと思う。

認知症と向かい合うということ~『長いお別れ』



 定年退職後認知症となった夫(東昇平)を老々介護する妻と、その娘たちを描く連作短編集。

 私は家族の中に認知症の人を持っていないが、その立場からのみ言うと、認知症とその介護の実態がかなりの程度リアルに書かれているように思える。

 今言ったことやしたことを忘れる。現在の状況が把握できない。家族を家族と認識できなくなる。家族が本人のためにしようとしていることを頑強に拒む。徘徊する。そうした夫(父)に、困惑しながら対峙する妻(娘たち)。そうした光景が、ときには微笑ましく、ときには悲しく、ときには辛く、ときにはやりきれないエピソードとともに描かれる。

 そうした精神的な苦労だけでなく、肉体的・物理的な苦労も克明に、そして(おそらく)的確に描かれる。

 こうして書くと暗い話と思われるかもしれないが、意外にも物語の全体的なトーンは明るい。昇平の妻曜子や娘たちをはじめとして登場人物の昇平に対するまなざしがやさしく、それより何より作者のまなざしが温かいのだ。主要な登場人物に悪い人がいないのもよい。介護施設のスタッフも有能なのが頼もしい。

 認知症の人が身近にいる方の中には「こんなの現実的ではない」「オブラートに包んでいる」と感じる方もいるだろうし、ぼく自身も「現実はもっと厳しいんだろうなあ」とは思う。しかし、辛い話を辛く描くのでは伝わらないこともある。作者はそのあたりのバランスをうまく取っていると思う。

 いずれにせよ、本書を読んで、認知症とその介護が少しだけ身近になったことは確かだし、何より充実した読書体験を持つことができた。

【蛇足】
主人公(だよね?)の東昇平は何と静岡(県)出身で、しかもぼくの大学の先輩である。

何億もの魂を救った男~『デール・カーネギー(上)(下)』



 ぼくは自己啓発書の翻訳を多数手がけているが、その自己啓発書の分野で燦然と輝く星、それも北極星のようにひときわ明るい星が『人を動かす』『道は開ける』(拙訳『悩まずに進め』=オーディオブック)で知られるデール・カーネギーだ。

 代表作の『人を動かす』は人間関係を円滑に進める方法を指南する自己啓発書であり、1936年の発行以来世界で3000万部(300万部ではない!)を超えるベストセラーになっている(そうだ)。今でも自己啓発書のベストXXを選べば、間違いなく1,2位を争うことになる(最近出た『ビジネス書完全ガイド』でも、さらっと1位になっている)。リーダーたらんとする人は必読の名著である。来年春にはぼくが翻訳したもの(ただいま、鋭意翻訳中!)が出るはずなので、それを待って(*^^)vぜひ読んでほしい。

 もうひとつの『道は開ける』は悩み克服の指南書。これまで同種の書籍をたくさん読んできたが、悩みを克服する方法論で本書を上回るものには出会ったことがない。こちらもまぎれもない名著である。悩み多き方は読まれんことを。救われること間違いなし!

 書籍の紹介から入ったが、デール・カーネギーはデール・カーネギー・コースという研修コース(対人関係、スピーチ、悩み克服など)の主宰者でもある。というか、そちらの方が本業である。著者自身は故人だが、後継者が今でも運営していて、本国米国のみならず、全世界でコースが開かれている。もちろん、日本にもある。

 書籍だけで3000万部、コースの受講者はその数倍いるだろうから、少なく見ても1億人はカーネギーのお世話になっているはずだ。これほどの魂を救った人は、宗教関係以外ではカーネギーをおいてないだろう。

 さて、本書『デール・カーネギー(上)(下)』である。タイトルから想像がつくように、デール・カーネギーの誕生から死までをほぼ時系列で追った評伝である。

 率直に言って、『人を動かす』の大ヒットで一躍時の人となるまでの前半は面白くない。ここのところは、デール・カーネギーはなぜデール・カーネギーとなったかが読ませどころのはずだが、そこのところがどうもよくわからない。少年時代はきわだった才能を見せず、成人してからも、夢を追うばかりで、何をやってもうまく行かず転々と仕事を変えていた、いわば人生の落伍者が、突然「話し方」教室の講師として花開く。そこまでの経緯--どうして「話し方」のプロになるほどの卓越したコミュニケーション能力を身につけたかがよくわからないのだ。

 それが一転、『人を動かす』で大成功してからは、がぜん面白くなる。期せずして人気者になったカーネギーの戸惑い、世間からの絶賛と誹謗中傷、二度の結婚、夫婦愛、友情と裏切り、思いがけない事業の失敗と再建、次第にカリスマ性を帯びていくカーネギーとその秘密、突然の病--と読みどころ満載で息もつかせず読ませる。

 カーネギーが晩年あの病で倒れた(「倒れた」と言っていいかどうか)のは初めて知った。そこからの話も痛々しくも感動的である。さらには、人格者だと思っていたカーネギーが死ぬまで妻(二番目の妻)以外の女性と不自然な関係を続けていたというのも驚きだった。

 このように前半よりがぜん面白くなる後半だが、欠点もある。カーネギーの著書の内容の紹介が必要以上に詳しくて長く、(少なくともそれを読んだことのある者にとっては)退屈で苦痛以外の何ものでもない。さらに言えば、詳しすぎて逆に、どこがいいのか、何が面白いのかがわかりにくくなっているような気もする。

 また、カーネギーの思想のバックボーンとなっているニューソートや心理学についての記述もくどすぎる。必要性はわかるが、思い切ってもう少し刈り込むべきだったのではなかろうか。

コミュ障の人集まれ!~『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』



 昨年大いに話題になり、大いに売れた、コミュ障(※)克服のための指南書。著者はニッポン放送のアナウンサー。

※ 「コミュニケーション障害の略である。日本の国民病の1つであり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のこと」(ニコニコ大百科より)。

 著者自身コミュ障であったと言う。「えっ」と思う。ならば、最もコミュニケーション能力が必要なアナウンサーとして成功しているのはなぜなのか?

 その答えは「コミュ障を克服すべく努力したから」。水泳や料理と同じように、コミュニケーションも練習しなければうまくならない。その大前提を「コミュ障」というレッテルを貼ることで覆い隠してしまっている(※)と著者は批判する。なるほど。出発点からして素晴らしい。

 著者はコミュニケーションを「ゲーム」ととらえる。しかも、参加者全員が味方のゲーム。ゲームの目的はコミュニケーションを円滑に進め、終わった後に参加者全員がいい気持になれること。自分の思いや情報を伝えることは二の次だ--そう言って、そもそもの「コミュニケーション」の定義(※)を否定してしまう。

※ 広辞苑によれば「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達」

 全員味方なのだから、相手を説得しようとしたり、ましてや言い負かそうとしてはいけない。「言い負かされたら、その人はいい気持で会話を追われないし、いいことは何もない」と言い切る。この割り切りかたがすごい。

 以上が本書の最大の肝。ここさえ(きちんと)理解できれば、後は枝葉末節だと言っても言い過ぎではない(言い過ぎか)。

 そのうえで、コミュニケーションをいい気持で終えられるコツを教えてくれる。

 まず自分を捨てること。自分に興味のある人なんていないんだってことを自覚すること。コミュニケーションで自己顕示欲を満足させることなどできない。だから、コミュニケーションをうまく進める基本はたったひとつ。徹頭徹尾「相手にしゃべらせる」こと、それだけだと。

 そしてもうひとつ。自尊心のレベルを下げろということも言っている。バカにされても怒るな、いじられたらラッキーだと思えと。いやあ、これなど、ちょっとしたことでもカッとしてしまうぼくは、真っ先に心せねばならない。

 こうした考えの背景には「相手の思いはコントロールできない。コントロールできるのは自分の思いだけだ」という考えがある。これなど、デール・カーネギーの名著『道は開ける』など、悩み克服指南書が必ず説く最重要事項である。「相手を変えることはできない。自分を変えよ」と。

 本書にはこうした「心構え」の話だけでなく、具体的なテクニックの話もある。

 その中で最も重要なのは「質問せよ」。相手に(嘘でもいいから)興味を持って質問する。それが大事だと。そして「他愛のないことを聞け」「いちばん大切なのは『答えやすさ』」「相手についての知識の空白を埋める質問をせよ」などと、質問のコツを次々と教えてくれる。驚くのは、よく会話のコツと言われる相づち(「へえ」「なるほど」「ふ~ん」)を否定していること。理由を聞けば納得できる。

 こうしたテクニックを、サッカーの「トラップ、パス、ドリブル」にたとえるのもうまい。わかりやすいし、後々まで頭に残る。

 それ以外にも会話のコツが満載なうえに、「親も兄弟も最初は他人」「正常は異常の一形態」「誤解するのが当たり前」「人間の会話は、サルの毛繕い」といった名言も目白押し。

 こう言っちゃなんだが、予想外の好著だった。コミュニケーションの指南書としてだけでなく、もっと広く、人づきあいの指南書としても読める。その意味で「コミュ障」以外の人にもお勧めしたい。

「論理」と「倫理」~『小倉昌男 経営学』



 著者は、宅配便の生みの親、ヤマト運輸の2代目社長である。

 宅配便というまったく新しい業態に着目し、それを一大事業にまで育て上げていく姿が、独自の経営哲学とともに語られる。身内のほとんど全員が反対するなか新しい事業を起こし、軌道に乗りかけたと思うと、既得権益を守ろうとする官僚や同業者の横槍が入る。それらと戦う著者の姿は感動的であるとともに、下手な小説よりはるかに面白い。

 読んでいて、大きなことをやり遂げる鍵は、①揺るぎない信念、②コストよりそれをやるべきかどうかを優先、③顧客の立場に立った考え方、④常識を疑う逆転の発想、⑤データに基づいた分析と実行だと愚考した。

 著者は最後を「経営リーダー10の条件」で締めくくる。その10の条件の中でも特に重要なのは「論理的思考」と「高い倫理感」だと言う。後者についてはこう語る。

 企業の目的は利益ではなく、永続することである。利益はそのための手段であって目的ではない。企業を永続することによって、質の高い製品やサービスを社会に提供し、雇用機会を創出することが企業の存在意義だ。

 ぼくが人生の半分以上をお世話になった会社が今揺れている。世間様が言うほど「悪」だとは思わない(思いたくない)が、ただ、利益を重視するあまり、本来の目的である「よい製品を社会に提供する」ことがおろそかになっていたのではないかという思いはある。このピンチをチャンスととらえ、原点に返って「高い倫理観」を旗印にして立ち直ることを切に願う。

人生を二度生きた男~『四千万歩の男(一)』



 江戸時代にあって、きわめて正確な日本地図を作り上げたことで有名な伊能忠敬を取り上げた作品。文庫本で全5巻、しかも1巻が普通の文庫本の2倍強の厚さという大作。まだそのうちの1巻を読み終えたばかりだが、現時点での感想を書いておきたい。

 それほどの分量でありながら、忠敬の事業すべてを描き切っているわけではない。忠敬は9次にわたって全国を測量したが、この作品で描かれるのは第2次測量までにすぎない。作者の井上ひさしの当初の構想では、測量事業すべてを描いたうえで、忠敬の死後「伊能図」(忠敬が作りあげた日本地図をこう呼ぶ)がたどった運命を現代までたどるつもりだったらしいが、本作品ではその全体構想の7分の1程度しかカバーできていないという(※)。

※ 井上は続編を書く意志を持っていたようだが、実現しないままこの世を去ってしまった。

 そうなった理由は作者の凝り性にある。前書きで井上は高らかに言う。

「作者の視点は常に忠敬の右肩の上にある。(中略)加えて、忠敬の日常生活をできるだけすくい取ろうとして、密着細密描写を心がけた。筆者の筆が省略したのは彼が眠っているときぐらいのもので、あとは、どんなに平凡な日の、どんなにつまらない一挙一投足であれ、筆者はそれらを見逃して筆をはぶくことはしなかった」

 これでは長くなるのも当然である。後に井上は「(効率を考えて)やはり史伝体でいくべきだった」と反省している。しかし、だからこそ、内容の濃密さは半端なく、そこが本書の最大の魅力のひとつともなっている。

 忠敬が測量事業を始めたのは、驚くことに、引退後の56歳になってからである。事業家(佐原の大商家の主人)としても大成功し、その事業を息子に任せて50歳で引退するや、念願だった星学・暦学(天文学)の勉強を始め、56歳から死の前年(72歳)までの17年間で3万5千キロ(井上の試算によれば約四千万歩)を歩き通して、日本地図を完成させる。決して天才的な才能があったわけではなく、愚直なまでの誠実さと努力によってこの大事業をやってのけた。

 高齢化が進み、定年退職後も30年前後の人生が残っている現代にあって、「人生を二度生きる」ための、まさにお手本のような人物である。井上がこの作品を書いた動機のひとつにも、人生二山時代を生きる現代人を励ます目的があったという。

 登場人物も豪華だ。忠敬の師匠で寛政の改暦を主導した高橋至時、至時の師匠でケプラーの法則を独自に発見した麻田剛立といった当時一流の天文学者はもちろん、蘭学者の山片蟠桃、戯作者の山東京伝、寛政の改革の松平定信など多士済々。そのどれもが魅力的で、彼らが登場する関連作品を読みたくなってくる。

 中でも興味を惹かれたのが、蘭学者で通詞の志筑忠雄。多数の訳書を残していて、ニュートンの『プリンキピア』を日本に初めて紹介したのは彼であり、そうした訳業のなかで「遠心力」「求心力」「重力」「加速」という訳語、さらには「鎖国」という言葉を考え出したのも彼である。翻訳者の端くれとして、この大先輩には大いに興味を惹かれる。幸いにして志筑を取り上げた歴史書もあるようなので、そのうち読んでみたい。

 なお本書は、いかにも井上らしく、事実だけでなくフィクションも多い。いかにも作り物めいた話も少なくないので、そこをどう捉えるかで評価がわかれるだろう。ぼくとしては「ちょっとやりすぎかな」という感じ。

 まだ1巻を読み終えたばかりなので、全巻を読み終えたところでもう一度感想を書きたい。

P.S.
 本書を読もうと思ったのは、坂東三十三ヵ所巡礼の一環として、忠敬の生まれ故郷である佐原に行くことになったのがきっかけ。佐原へは明7月22日に行く。忠敬旧宅や、忠敬記念館など、ゆかりの場所を巡る予定。

ビジネスメールの書き方について再確認する~『メール文章力の基本-大切だけど、だれも教えてくれない77のルール』



 長い現役生活の中でビジネスメールは何千通(何万通?)と出してきたが、いまだに書き方で悩むことがある。そこで、初心に返って、指南書をひもとくことにした。

 この本はアマゾンのレビューと直感で選んだものだが、ビジネスメールに関する77の基本的なルールがコンパクトに書かれていてなかなかいい本だった。

 すでに承知しているルールが多かったが、それはそれはで再確認の意味で意義があったし、知らなかったこと・心得違いしていたこともそれなりにあって参考になった。

 以下、知っていたことも、知らなかったことも含めて、印象に残ったものをのいくつか列記しよう。

・相手の立場に立って書く
・返信は遅くとも24時間以内にする。忙しいときは、受信した旨だけでも返信する。
・件名は内容が伝わるように
・本文は「結論→理由→詳細」の順で
・ファイルを添付する場合は形式とバージョンを明記する
 ⇒相手が開けない場合を考慮して「もし添付ファイルが開けない場合はご連絡ください」と書き添える
・添付ファイルの要旨を本文に書くとよい
・事実と意見を明確に分ける
・相手に伝える必要のないこと(くどくどとした言い訳など)は書かない
・言いにくいことこそあいまいにせずはっきりと誠意をもって伝える
・返事の催促では「相手の逃げ道」を用意する
・苦情のメールは感情的にならず冷静に
・お詫びのメールではまずきちんと謝り、納得する理由と対策を書く
 ⇒理由には相手に関係のない内部事情は書かない
・回答期限は具体的に伝える。「お時間のあるときに」「いつでも結構です」はかえって失礼
・メールは原則として仕事時間中に送る。やむをえない場合はひと言お詫びや理由を添える
・1行25文字くらいで改行する

 メールの作法だけでなく、人づきあいの作法も学べることがわかる。


ミステリ三冠王を読む~『満願』



 人から薦められて米澤穂信の『満願』を読んだ。昨年三大ミステリベスト10(このミス、文春、ハヤカワ)でいずれもトップに輝くという史上初の偉業を成し遂げたミステリだ。

 6篇の短編からなる短編集である。連作ではなくそれぞれが独立しており、登場人物もまったく異なる。また、事件があって、その謎を名探偵役が解くという本格推理でもない。ただ、ひとつ共通点があって、それは、さまざまな出来事の背景にある意表を突く真相(特に人間心理)をあぶり出すというものだ。その意外性が本書の読ませどころ。

 どれもが面白かったが、ぼくが最も気にいったのは「関守」。天城の山奥にある道で短い間に4件の死亡事故が起きる。それを幽霊譚(都市伝説)に仕立て上げようとして現場に赴いたライターが驚くべき真相にたどり着く。その後に待っているライターの運命を含め、優れたホラーストーリーとなっている。

「万灯」もよかった。バングラデシュで天然ガス開発を目指す商社マンがある村に調査拠点を作ろうとして、村人に頑強に拒まれる。村人の拒否の理由も意外ならその後の展開も意外だ。商社マンは村人の合意を得るためある犯罪に手を染めるのだが、完全犯罪成就と思われた矢先、思いがけないことから窮地に追い込まれる。商社マンを待ち受けていた究極の選択には、他人事ながら背筋が寒くなる。

 冒頭の「夜警」もなかなかだ。ある事件の処理に当たっていた警官が犯人を射殺してしまう。気の弱い警官がプレッシャーに耐えかねて発砲してしまったかのように見えたが、ちょっとした事実がもとになって、同僚の警官が驚くべき真相へとたどり着く。その真相にもあっと驚かされるが、真相が明らかになった後最初から読み返してみると、随所に(あからさまな)伏線が張られていたことがわかり、作者の凄腕に呆然とさせられる。

「死人宿」も洒落ている。自殺者が多いと言われる山深い温泉宿の風呂に落ちていた一通の遺書。それを書いた可能性のある泊まり客は3名。その中から遺書を書いた人物を突き止めるという謎が斬新でまずいい。ただ、その謎を解く道筋が、鮮やかさもあるものの、ちょっとあっさりしすぎているかなという気もする。ついでに、最後のオチもなかずもがなに思われた。

「満願」は表題作でもあるし、それまでの各作品の出来がよかっただけに大いに期待して読んだ。しかし結果は残念なものだった。最後に明かされる謎は意外だしそこそこ面白いが、「そのためにそこまでやるか」という気持ちがぬぐえなかった。

「柘榴」は、ぼくとしては最も評価が低い。ぼくの嫌いなイヤミス系であり、読みたくないたぐいの小説だというのが最大の理由だが、それを置いとくしても、途中で真相に気づいてしまって意外性に乏しいし、あんなことでこんなことをしてしまう(そして周囲を不幸に陥れる)登場人物の心理にまったく共感できなかった。

 総合的に見て質の高い短編集であることは間違いないが、三冠王を取るほどの出来かというと、アマゾンの多数の読者同様首をかしげざるをえない・・・・・・というのがぼくの結論。

6月に読んだ本

 最近読書感想文を書くのをさぼりがちなので、その代わりに--と言ってはなんだが、その月に読んだ本をリストアップしておこうと思う。まずは6月に読んだ本を読んだ順に掲げる。

『 』は長編、「 」は短・中編で《 》が所収本。☆印はおススメ本(ただし、長編の複数巻の途中のものは印なし)。アンダーラインをしたものはこのブログに感想文を書いたもの。

「春の雪解」《半七捕物帳》(岡本綺堂、青空文庫)
『ねこバカ×いぬバカ』(近藤 誠、小学館)☆
『そうだ、高野山がある。』(片山恭一、バジリコ)
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』
  (池澤 夏樹、小学館文庫)☆
『ブッダ(2)』(手塚治虫、潮漫画文庫)?
『そろそろ旅に』(松井 今朝子、講談社文庫)
『トム=ソーヤーの探偵』
  (マーク・トウェイン、講談社青い鳥文庫)
『かくかくしかじか(1)』(東村 アキコ、集英社)?
『秘書奇譚」《怪奇小説傑作集1》
  (アルジャーノン・ブラックウッド、創元文庫)
『岡崎に捧ぐ(1)』(山本 さほ、小学館)☆
「あけたままの窓」《ザ・ベスト・オブ・サキ》
  (サキ、サンリオSF文庫)☆
「スレドニ・ヴァシュター」《ザ・ベスト・オブ・サキ》
  (サキ、サンリオSF文庫)
「はつかねずみ」《ザ・ベスト・オブ・サキ》
  (サキ、サンリオSF文庫)☆
「アリバイ・アイク」《アリバイ・アイク》
  (リング・ラードナー、新潮文庫)☆
「消えた臨急」《ドイル傑作集1 ミステリー編》
  (コナン・ドイル、新潮文庫)
「大空の恐怖」《ドイル傑作集3 恐怖編》
  (コナン・ドイル、新潮文庫)
『西国巡礼』(白洲 正子、講談社文芸文庫)☆
「良心の物語」《アウルクリーク橋の出来事/豹の眼》
  (アンブローズ・ビアス、光文社古典新訳文庫)☆
「ポールスター号船長」《ドイル傑作集2 海洋奇談編》
  (コナン・ドイル、新潮文庫)
「黒の碑」《黒の碑―クトゥルー神話譚》
  (ロバート・E・ハワード、創元推理文庫)☆
「夏の一夜」《アウルクリーク橋の出来事/豹の眼》
  (アンブローズ・ビアス、光文社古典新訳文庫)☆
「アッシュールバニバル王の火の石」《黒の碑》
  (ロバート・E・ハワード、創元推理文庫)
「屋上の怪物」《黒の碑》
  (ロバート・E・ハワード、創元推理文庫)
「冬の夢」《村上春樹翻訳ライブラリー-冬の夢》
  (スコット・フィッツジェラルド、中央公論新社)☆
「恐怖のベッド」《夢の女・恐怖のベッド―他六篇》
  (ウィルキー・コリンズ、岩波文庫)
『いとしのムーコ(2)』(みずしな 孝之、講談社)☆
「吸血鬼カーミラ」《吸血鬼カーミラ》
  (レ・ファニュ、創元推理文庫)
「白い手の怪」《吸血鬼カーミラ》
  (レ・ファニュ、創元推理文庫)☆
『新訳 科学的管理法』
  (フレデリック・W・テイラー、ダイヤモンド社)☆

※上記以外に3冊あり、略す。
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